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小さい花のミクロの世界へ

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幻視(まぼろし)-春のほたる-4

幻視(まぼろし)-ホタル(3)
               
 外は、まだ初夏には早い。
芳子の装いが、“早春”のものだった。
その季節に、ホタルが舞い始めた。
 私に、“この里から去るときが来ている”と告げるように・・・。
私は、芳子の横顔に深く礼をして、
古い小屋の前の坂を、池に向かって登り始めた。
 つい先日に、ヤヨイが落ちて、タカオが救い上げた、
あの小さな池である。
その池の傍らを通って、白い茅花の穂が揺れていた稲場を越えて、
小さな駅に向かって、帰ることになる。

 先日(?)、この里に来たときの道を、逆に辿るのだ。
あのとき、タカオに向かって鳴いていた山羊は、
私にも鳴いてくれるだろうか。
 それよりも・・・あの山羊は、まだ繋がれているだろうか。
山里の夜は、月明かりがなければ、
鼻をつままれても判らないほどの、漆黒の闇になる。
足下が確認できるうちに、駅に辿り着くようにしよう。

 私を見送るように舞いだしたホタルが、
芳子の着物の袖に、吸い込まれるように消えた。
あのホタルは、芳子の温かい心を含んで、飛んでいるように思われた。

 稲場に登る途中で、小屋を振り返ると、芳子の姿はなかった。
小屋から、琴の音が漏れてきた。
何という曲なのか、私には見当がつかない。
いつの間に、琴を用意したのだろうか。
琴柱(ことじ)の調整に、時間がかかるはずなのに、
いつの間に、音階の調整をしたのだろうか。

 芳子が愛用していた琴の音色に、違いなかった。
その音に見送られて、私は帰路を急いだ。

 隣に立つ人から、鼻をつままれてもわからないような、
漆黒の闇を見せられた私は、帰路の闇を心配したのだが、
朧の月が山の端から姿を見せて、足下を照らし始めてくれた。
乾いた路面に、自分の影が、柔らかく映った。

 暗い塊となって聳える“鎮守様の森”から、フクロウの鳴き声が、
『ホウ・・・ホウ』と、物寂しく聞こえてくる。
列車の汽笛が、すぐそばにいるように聞こえる。
いくつかの丘を越えた、その先を走る汽車の音が、間近に聞こえる。

 明日は、雨になるのだろう。

『あなたが姿を見せてくれるなら、いつ、どこにでも現れても良いんですよ。』
私が彼女に告げると、彼女は即座に、その答えを返してくれた。
『そんな面倒なことは、やらないよ。』
“幽霊でも良いですよ”
という私の要求に、彼女は、
“それは面倒だ”
と答えたのである。

『必要ならば、あなたが会いに来なさい。』
それが、彼女(芳子)の答えだった。
 私は、少し寂しい感じを抱いたが、
会いに行けばいつでも、彼女はホタルとともに、
私を迎えてくれる、ということでもある。

 彼女のホタルは、春だけでなく、
冬になっても、温かい日だまりのような心を乗せて、
尋ねる人を、出迎えてくれることだろう。




 さて・・・と、多少後ろ髪を引かれるような気持ちを、
山里に残しながら、“多分”帰り道なのだろうと思われる、
古い駅を目指して、夕暮れの小径を、急ぎ始めた。




 その私が、ふと意識を引き戻された現実のその場所は、
煙の“それ”が、私を誘い出した、都会の雑踏の中だった。
しかも私は、自分の車のハンドルを握っている。
相変わらず、強い日射しが、路面を白く光らせている。
 私が、芳子が住む山里で過ごした数年間は、
一瞬の出来事だったようだ。

 私の視界の隅から、笑みを浮かべた“それ”が、
今まさに、消えかけようとしていた。

 煙の“それ”が、たなびくように現れて、
瞬く間に揺らいで消えた、その一瞬に、
“それ”は、私を現世から彼岸に、誘ってくれていたらしい。

 無意識に、私は数を数えていた。
1・2・3・・・46・47・・・。

 今日は、彼女(芳子)が急逝した日から、数えて49日目だった。
彼女は、私に自分の行く先を、伝えようとしたのだろうか。
それとも、煙のような“それ”が、何気ないお節介によって、
私を、彼女が住む世界に、誘ってみたのだろうか。

 この日は、彼女の魂が、この世との未練を断ち切って、
もうひとつの世界に旅立つ日だった。
 彼女の魂は、自分の永久の住処を、私に教えようとしたのだろうか。
それとも、私を介して、自分の子供たちにも、知らせたかったのだろうか。
何だか私は、その肝心な部分を、彼女から聞き出し損ねたらしい。
 しかし、そんなことは、些細なことでしかないだろう。
白い煙の“それ”が、この日に、私を彼女の元に誘ってくれた。
このことに、特別な意味があると思われた。

 そういえば私は、この数年というもの、
本物のホタルを見ていない。
次の初夏には、本物のホタルに、会いに行ってみよう。

 その場所で、芳子の魂に会えるかも知れない。

-完-

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